2008年11月6日木曜日

オリジンにふれる、ウィノグラード、Google、体験流

【本稿は2007-07-09記】

先週、久しぶりに訪れた東京駅のエキナカの本屋さんで、「NHKスペシャル グーグル革命の衝撃」という本を購入しました。

例によって、グーグルに関する様々な事柄が、「検索」がもたらすもの、天才集団の牙城、広告革命、既存のメディアを揺さぶるグーグル、誰が検索順位を決めるのか、グーグルにすべてを委ねるのか、膨張する巨大IT企業の行方、人類のライフスタイルとグーグル、「退化」する私たちの未来、などの言葉でお話がされていました。

ほとんどの内容は、皆さんがすでにご存知の内容でした。

でも28ページの1行に私の目は釘付けになりました。

ご存知のように、Gooogleは、1998年に、スタンフォード大学の二人の学生、サーゲイ・ブリンとラリー・ページによって誕生しました。
二人は1995年に最初に出会ったとのことですが、28ページには、「二人の足跡や考えの一端を知りたいと、グーグル発足当時、ラリー・ページの指導教官だったテリー・ウィノグラード教授を訪ねることにした。」とありました。

1989年に、私たち(当時、ヒューマンインタフェースのR&D活動を進めていた複数の企業の仲間たち)は、スタンドフォード大学に、ウィノグラードさんを訪ね、わくわくするような議論をして頂いたことが、走馬灯のように想いだされてきました。

当時、ウィノグラードさんは、「Understanding Computers and Cognition: A New Foundation for Design」という著書で、私たちにわくわくするような衝撃を与えて頂いていました。

その序文には、
「どんな技術でも、人間の本質や活動についての暗黙の理解という「背景」から生まれてくる。
一方、技術を使うことによって、我々の行動、ひいては存在そのものに根本的な変革がもたらされる。
道具(ツール)をデザインするとは、自分の存在のあり方をデザインすることだ、という点に思い至ると、デザインについての根源的な問いに出会うことになる。
これを真正面から受け止めて初めて、我々はコンピュータ技術を理解する新しい背景を築くことができる。
この背景こそが、コンピュータ・システムの設計と利用に重要な進歩をもたらしてくれる。」とあります。

お逢いしたときの議論では、当時の技術動向の議論や、この本の哲学的背景についての先生の「思い」について、再確認させて頂いたりしました。
終わり際に、私は、ウィノグラードさんに、もう一度、先生の「思い」について、お聞きしました。
そこで、「これからは、従来の図書館のように情報を集め、利用する形態が大きく変わってくることが予想されるが、今の図書館でもそうであるが、情報の仲立ち・案内をする人の役割が、とても重要になってくる。それは、・・・・・・・」と、静かに、深く諭すように話して頂いた。

そのときにも、オリジンにふれたふるえを感じたのを、憶えていますが、このたび、改めて、そのオリジンを再確認することができ、本を読みながら、うれしさがこみ上げてきました。

ところで、よーく想いだして、「表層の皮」から深層を流れるオリジンをみつめてみると、今のGoogleは、上記のオリジンの「・・・・・・・」の中のひとつの「・」に焦点をあてているに過ぎないような気がしてきました。

小さな気づきかもしれませんが。
もう一度、これまでの「オリジンにふれる体験流」を、再構築してみたいと思います。

菊、初めての体験、芽を摘む、体験流

【本稿は2007-07-09記】

以前に、近所の菊農家の方から、菊の苗を頂きました。

教えられ、見よう見まねで植えた菊が、庭の畑に見事に育ってきました。

初めての体験(Experience)なので、とてもわくわくします。


菊は、年中需要がありますが、特に7月の新盆と、8月の旧盆には多くの需要が見込まれます。

そのために、それらの需要に合わせて、苗がうえられています。

畑を見回してみますと、一列ごとに菊の背の高さが違っています。

この景色の底流には、このようなマーケット動向が埋め込まれているのですね。


育ってくると、いくつかの花の芽がでてきます。

みんな、そのままにしておきたいのですが、花を大きくするために、小さな花の芽は摘み取ります。

茎の下の方の葉も摘み取ります。

これらのことも、みんな、菊農家の方の体験流から、教えて頂きました。

私を、それを再体験し、また小さな気づきに、出逢っています。


このあたりは、花のさくまち、と言われるように、いろんなきれいな花の栽培が盛んです。

日々の生活の中で、遺伝子の話までなさっている農家の方々の体験流は、情報の世界のものにとっても、いつも考えさせられるオリジンになっています。

ネギ、草取りと土寄せ、体験流

【本稿は2007-07-09記】

1月遅れで植えたネギが、少しづつ大きくなってきました。

病院祭で100円で買った、ほんとに細かったネギの苗。


畑に畝をつくり、その谷間に少し斜めになるように1本1本静かに立てかけ、毛細のような根の部分のところに、手でちょっとだけ土を振りかけておいていたものです。


しばらくたってから、周りの草を抜きながら、ちょっとづつ土寄せをしてきました。今では、畝の谷間と山の部分が逆転し、ネギを立てかけておいた谷間の部分の方が盛り上がってきました。


このやり方は、みんな近所の農家の方々から教えて頂いたものです。


最初は日の当たらない谷間の部分のオリジンから、周りの環境の草取りをしながら、少しづつ土寄せをしていく。


長い間の、周りの方々の体験流の知恵を、再体験しています。

ジャガイモ、表層の皮、体験流

【本稿は2007-07-09記】

庭の畑のジャガイモが、青々と繁ってきました。


このオリジンは、種イモではなくて、料理のときに切り残されていた皮の部分です。食品庫においてあった表層の皮のところから芽がでてきたので、それを畑に植えたものです。


雨と太陽の恵みをうけて、こんなにも青々としてきました。


私にとって、小さな「表層の皮」としか見えてないものの中には、どんなオリジン、体験流が隠されているのかなー?

クリンソウ、言葉とイメージと分類、体験流

【本稿は2007-07-08記】

クリンソウが静かに咲いていました。


調べてみると、サクラソウ科で、山地の湿地に生えている。名は花が多くの段に輪生するので九輪草、とありました。


カタカナでみると、クリーン(clean)な感じからきているのかなという気もしましたが、漢字でみると、形からみるとそうだったんだー、ということに気がつきました。


情報や概念にかかわる用語にも、カタカナ、漢字、それに英語やラテン語など、いろいろありますが、翻訳されたとたんにオリジンの意味は失われて、違ったものになっているような気がすることが、しばしばあります。


言葉とイメージと分類(どうやってカテゴライズするか、どのようなインデックスをつけるか)、見ることによる体験流、いろいろと感じさせてくれます。

動機、目的論的構図、経験構造

【本稿は2007-07-04記】

「体験流」に関連すると思われる、いくつかの参考フレーズを、新幹線の中からモブログします;

動機づけとは、「偶然的事実を必然性に転化する構造」だそうです。

一般に、因果論が、現在の秩序・状態・構造などを、過去の秩序・状態・構造などによって説明するのに対して、目的論は、未来によって現在を説明する。

目的論的構図においては、現在は将来に依存し、部分は全体に依存する。

目的論的構造は、相互主観性において支配的であるばかりではなく、単独の自我の活動も目的論的構造によって支配されている。

現象学的経験構造は、内部に自己保存機構をもつ自己調整システムである。

三分一湧水、体験流

【本稿は2007-07-03記】

前の写真の湧き水のところから流れ出した水の流れを、みんなで公平に分かちあうために、考え出された叡智が「三分一」の工夫です。


左の写真は、この仕組みを流れの上流から写したものです。


四角い池のようなところの手前に、逆三角形の小さな石が置かれています。まさに、これがこの工夫の「コア技術」、「キーストーン」のようです。


下方の、三つの流れにうまく分かち合えるようになっています。


情報通信技術のあり方やそれの利活用法なども想起させてくれます。


また、これらの水の流れは、わたしには、何だか様々な「体験流」のありようのようにも思えてきました。しかも、「未来から過去への流れ」のような気もしてきました。

源泉・オリジン

【本稿は2007-07-03記】

小海線甲斐小泉駅の近くに、八ヶ岳山麓の名水として名高い「三分一」湧水があります。


湧き水の源は、豊かな緑に囲まれた、少し薄暗い感じのところにあります。

言われなければ、整地されて説明されなければ、気づかないようなものです。

とっても小さな源泉です。

これがこれからの流れのオリジンです。


この湧き水の源泉は、現在の情報通信技術の源泉となっているオリジンの方々からお伺いしたお話や、自分の周りで体験した様々なオリジンを想起させてくれました。


でも、とても小さな源泉ですが、この背景には、雄大な八ヶ岳に何年にも前にわたる水の営みがかもし出した叡智があると思うと、うれしくなりますね。


この小さな湧き水を眺めていると、情報の源泉、オリジン、その流れ、などなど、思いはどんどん広がってきます。

時間の流れと経験、そして意味

【本稿は2007-06-28記】

今、新幹線の中で「経験の構造」という本を読んでいます。
読んでいましたら、突然、先日の、自然園の滝の流れからの気づきにつながる文章に出逢いましたので、モブログします。
メルロ・ポンティが述べていたことを、貫成人さんがうまくまとめて頂いていました;

メルロ・ポンティは、「すべての存在が生身で私に与えられているのではないからこそ、時間は存在する」と述べる。
この時間的ダイナミズムにおいて、「まだ現在でないもの」が未来であり、「すでに現在であったもの」が過去である。
それゆえ、時間とは「現在になることによって過去になる未来」、すなわち、(ハイデガーのいう)「時熟」だ。

メルロ・ポンティに言わせれば、時間とは我々の経験と我々の存在が生起する「意味」であり、「意味」とは我々の「経験を方向付ける時間」である。

以上です。

HIグラウンドデザイナーにとって、とても大切なことを、自然園の滝は教えてくれていました。

自然園の滝と時間の流れ

【本稿は2007-06-27記】

町内の自然園を、散策してまいりました。


濃い緑の自然の中に身を置いてみると、身体のリフレッシュと共に、時々素朴なことに気づかされます。


初夏の森の中を流れる滝(写真)をしばらく眺めていました。


当たり前のように、この滝の水の流れは、川上から川下へ流れているように見えます。

ということは、未来にあるもの(川上にあるもの)が現在(私が今ここで眺めているところ)にいたって、過去(川下)へと流れていっている、すなわち、「未来から過去へ」流れていくということかなー?


ふーん、自然は、いろいろと「小さな気づき」を与えてくれます。

戦略とは?

【本稿は2007-06-21記】

様々な「戦略デザイン活動」をおこなってきましたが、ヘンリー・ミンツバーグの著作:「戦略クラフティング(Crafting Strategy)」と「戦略プランニングと戦略思考は異なる(The Fall and Rise of Strategic Planning)」の中に、私たち「HI総合デザイナー」の諸活動を、うまく表現して頂いているキー・ワードやフレーズがあり、うれしくなりました。
以下に、少しだけひろってみました。

・プランニングと創発の共存
 創発戦略(emergent strategy)
 戦略における学習という視点

・戦略プランニングは、要素還元的な分析作業である
 一方、戦略の創造とは総合化である

・効果的な戦略は、すべてにおいて偶然と熟慮の両方の産物であると考える
 いかなる戦略もある程度の柔軟な学習とある程度の体系的な思考が組み合わされた結果だからである。

・ビジョンはこれを自分なりに思い描けない人には無意味である

・真の戦略家とは自分の手を汚してアイデアを掘り起こす人物であり、
 真の戦略は彼らがたまたま掘り出した金塊から生み出される
 要するに、日常に存在する微細な事柄に無関心であってはならないのだ
 そのようなことにみずから触れながら、
 そのなかから戦略的なメッセージを抽出できる人こそ戦略家たりえる
 大きな絵も精緻な筆使いで描かれているものだ

以上です。

これからも、「小さな気づき」を大切に、歩んでいければ幸いです。

白樺林のれんげつつじ

【本稿は2007-06-19記】
町内の東洋一の白樺林にれんげつつじが咲きました。
この光景はいつもながら、初夏の楽しみのひとつです。
みなさんも一度いかがですか?
人と情報と技術。
ここにも季節を感じさせてくれるものがあるといいですね。

IMC2007

【本稿は2007-06-15記】

幕張で開かれているIMC2007を見てきました。

デジタル放送サービス/インターネット・モバイルサービス最前線のコーナーが、今後の展開の参考になりました。
具体的には、日テレ、IBC岩手放送、MMBPマルチメディア放送企画LLCのトライアルが面白かったです。また、IPTVトータルソリューション&ビジネスモデルをうたっていたACETEL、ファーストリーム、また、ユビキタスSOAエンジンをキーにしていたNTTも参考になりました。

オリジンにふれる、トーマス W. マローン、体験流

【本稿は2007-06-13記】

(日本語版の)ハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)5月号に、(実は、英語版のHBRでは1998年9-10月号の論文ですが)

デジタルネットワークが巨大企業を分裂させる
「eランス経済の台頭」
The Dawn of the E-Lance Economy

というのがでていました。

20年前ほど前に、HCIの世界でマローンとお逢いしたことが懐かしく思い出されました。

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トーマス W. マローンは、ITが組織にもたらす可能性について
一貫してポジティブな主張を展開している人物として知られる。
彼は19990年代、21世紀の組織のあり方を探る研究プロジェクト
("Inventing the Organizations of the 21st Century")
から得られた知見として、
デジタル・ネットワークに結合された独立した個人という「eランサー」が
価値を創造する「eランス・エコノミー」の台頭を本稿で提唱した。
その主張は、21世紀をデジタルネットワークの進展によって、
大企業が小さな単位に分割されていく過渡期ととらえるものである。
本稿は98年に発表されたものの、未訳となっていたが、
このようなワークスタイルの変化が世界的に本格化しており、
クリエイティブ経済の未来を予測するうえで一読に値する。
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と、あります。

20年程前にお逢いしたときには、ACMのHCIというソサエティで、私にとって異色の存在で、多くのことを教えて頂きました。

特に、当時、彼が創設した、「Coordination Science」の話が、眼を開かせてくれました。

本文を読みながら、彼の澄んだ眼が、まぶたに浮かんできました。
底流を流れる体験流にふれることができました。
ありがとう!

スローなユビキタスライフの実践

【本稿は2007-06-12記】

先日、最近の生活や活動について、「スローなユビキタスライフの実践:HI グラウンドデザイナーのライフスタイル」というお話してまいりました。 このブログで、このことの分かち合いが出来れば幸いです。

【お話の概要】
 北八ヶ岳山麓の南佐久にて、M-SAKUネットワークスの居を構え、インターネットやモバイル環境を利活用しながら、地域でのエコな生活と時々都会にでかけるといったスローなユビキタスライフを楽しんでいます。

 その中で、生活体験に根ざした「HI総合デザイナー(HI Ground Designer)」の必要性を説き、様々な社会的コンテクストと技術的コンテクストを結びつけるために、学際的方法論による総合アートと知識のユビキタスなネットワーク(Multidisciplinary - Sougou Art & Knowledge Ubiquitous Networks)活動を実践しています。

 具体例のひとつとして、情報通信会社や経済産業省などに関する、ブロードバンド・ユビキタス関連や地域情報関連のR&D研究企画、サービス企画、ビジネス戦略策定の支援など、およそ25プロジェクトにわたる研究開発ビジネスの企画・戦略活動に参画してまいりました。

 また、地域医療のメッカである佐久地域における地域医療・総合診療や心療内科にかかわっている若手医師たちの諸活動を支援するためのネットワーク(Medical - SAKU Networks)活動も進めています。

 そうして、これらの活動の体験を、次代を担う方々と分かち合うために、技術と文化に関するテーマで、大学での授業などを10数年にわたって行うと共に、地元の有機農家のネットワークに参加したり、母乳育児で子育て中の主婦の方々との人間の成長に関する集いを継続するなどの、人の成長と総合化にかかわるネットワーク活動も進めています。

(なお、諸活動の考え方のひとつが、大学受験のための「小論文:21世紀を生きる」、現代社会の本質に迫る48編のアンソロジー、21世紀の諸問題の論点と問題点が明らかに、のひとつとして選ばれています。)

 今回の講演では、これらの諸活動の概要をご紹介すると共に、HIグラウンド・デザイナーのための具体的なメソドロジーや人の発達や意識の変容にかかわる体験についても、分かち合いをさせて頂ければ幸いです。

 なお、M-SAKU のもうひとつの意味は、皆さん(M)と佐久(SAKU)を結ぶことでもあります。これを機会に、ご一緒にHIグラウンド・デザイナーのコンセプトを育てて頂ければ、うれしく思います。

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(以下に、当日の講演のレポートが出ていましたの、引用させて頂きました。) 5月16日のIECPセミナーでは、遠藤隆也氏を講師に迎え「スローなユビキタスライフの実践:HIグラウンドデザイナーのライフスタイル」と題して講演が行われた。

 遠藤氏は、NTTヒューマンインタフェース研究所、NTTアドバンステクノロジ株式会社、HITセンタ等で、ディジタルネットワーク、マルチメディア、ヒューマンインタフェース等の研究に携わった後、長野県の南佐久に居を移し、M-SAKUネットワークス代表として、またHI総合デザイナー(この概念については後述)として活動されている。活動の範囲は非常に幅広く、大手通信会社や経済産業省のプロジェクトにおけるブロードバンド・ユビキタス関連や地域情報関連のR&D研究企画・サービス企画・ビジネス戦略策定の支援、技術と文化をテーマとした大学での講義のほか、地元における地域医療活動の支援、有機農産物の生産者と消費者をつなぐネットワーク、母乳育児に関するNPO活動の支援などにもかかわっている。

 ここまで聞くと多忙な毎日なのでは、と想像してしまうが、実際には、八ヶ岳と雲を眺めながら地球の自転を実感したり、畑仕事や裏山を散策しながら戦略を練ったり、温泉に入りながら仕事の連絡を取ったりという、とてもゆったりとした生活を送られているそうである。

 このスローでエコな生活[1]を支えているのが、インターネットとモバイルを利用した、どこでもつながるユビキタス環境である。具体的には、M-SAKUネットワークスの本拠地である自宅周辺は無線LANでつなぎ、外出先ではFOMAを使い、Gメールやブログも活用している。そして、ときどき東京に出かけて仕事をされているということである。ちなみに、最寄りの佐久平駅から東京駅まで、新幹線で約1時間20分であり、東京駅近辺で仕事をするには横須賀に住んでいたときよりも便利になったという話であった。


HIグラウンドデザインというコンセプト

 HI総合デザイナー(HI Ground Designer)というのは、遠藤氏が提唱する新しい概念である。Hは人(Human)、Iは情報(Information)を意味し、「総合」という意味を表現するために「グラウンド(Ground)」という言葉を用いたという。国や企業、グループで仕事をしていて何かが足りないというとき、総合的にものを見る見方が欠けていることが多い。「HIグラウンドデザイン」は、人や情報などを総合的にとらえて戦略デザインしていくという意味だそうである。 

 では、具体的にどういう活動をされているのだろうか。遠藤氏の話から拾うと、たとえば、「地域医療」という人と地域と医療を総合的にとらえる方法論の課題である。総合診療や心と身体を総合的にとらえる心療内科の医師として、地域のユーザーに必要なものは何かと考えることを支援する。医師としての仕事、村の中の専門家としての役割、家族的なかかわり、近所のおばさん的要素……などと並べていくと、そこで医師たちは、医療として、学校で学んだ知識そのものではない部分がこんなにたくさんあるということに気づくそうである。また、医療が細分化され、臓器の数だけ学会があるといわれているなかで、一人の人間を総合的に診るとはどういうことかを考える。すなわち、医者とは何かという基本を伝える作業を支援することでもあると遠藤氏はいう。 

 また、日本学術振興会の5年間にわたる研究プロジェクト、未来開拓学術研究推進事業「電子社会システム」では学際的研究の運営委員を務め、経済、工学、法学、政治、哲学・倫理など、各界の研究者たちの意見の取りまとめの支援にあたった。経済学者は経済の見方だけ、法学者は法だけというように、それぞれの専門分野のテーマだけに関心が向きがちで、それらがどうつながって社会に影響を与えていくのかが見えていないことも多い。そこをグラウンドという視点で見ると、たくさんの課題が見えてくる。そこで、各分野のキーワードを列挙して一つひとつを連携させ、それぞれが相互にどう関連するのか、総合リファレンスの絵を描いてみせることで、論点を明らかにしていったそうである。


情報についての小さな気づき

 南佐久で暮らし始めて遠藤氏が気づいたことの一つが、リアルな現実の豊かさとそこで情報が持つ意味だという。たとえば、次のような事例である。

 近所の有機農家では年1回収穫祭が行われ、生産者、販売店、消費者が一緒になって、トウモロコシやジャガイモの収穫に汗を流している。また、有機農家から毎週届けられる野菜には「畑のつぶやき」というメッセージカードが添えられ、その野菜がどうやって育ったかが消費者に伝わるようになっている。こういった体験を伴う情報、生産者と消費者をつなぐための情報は、同じ生産履歴でも、食の安全について責任を追及しようという今のRFIDの方向とは違うのではないか。また、農作物の一部は「町の駅」で販売されている。いわゆる「地産地消」であるが、「情報の地産地消」ができれば、もっと地域は豊かになるのではないか。

 佐久は地域医療のメッカである。健康についての情報を伝えるために、町では年に1度「福祉と健康のつどい」、また佐久総合病院では、「病院祭」を開催している。地域ケアや介護、子育てにかかわる地域の住民やNPOも参加し、今年のテーマを何にするかを話し合う。プライマリヘルスケア(第一線医学)の大切さを、高齢者を含めた地域の人たちにどう伝えるのか。屋台を出したり、展示に工夫を凝らしたり、医師や看護師たちが踊ったりと、知恵を絞って準備する。こういったことを全部ホームページで表現できるだろうか。またネットに載せたとしても、住民に伝わるだろうか。情報は伝えるだけでなく、お互いが分かち合い、活動として実践されなければならない。

 佐久穂町の住民には各家庭に災害用無線機が配布され、災害のときだけでなく、「山のほうで熊がでたから注意しましょう」とか「○○地区にいま高齢者向けのセールスが入っていますので注意しましょう」といった情報も、リアルタイムで聞こえてくる。そこには何か、忘れてしまっていた人々の生活に根ざした「今ここ情報」の伝え方といったものがある。


小さな気づきが社会を変えるムーブメントに

 講演の中で遠藤氏が繰り返し強調していたのは、「小さな気づきの大切さ」である。 これは遠藤氏がアラン・ケイ氏から直接聞いた話だそうだが、メインフレームの時代にパーソナルコンピュータの概念を提唱したときは、「あんなものをパーソナルで使うことなどありえない」と酷評されたそうである。しかし、その発想を持ち続けて研究を積み重ねていったことで、さまざまなイノベーションが生まれ、パソコンは身近な技術となって社会的に認知され、いまや社会自体を大きく変えようとしている。電子メール、ユビキタス、Web2.0も、最初はそのような小さな気づきから始まったのだという。遠藤氏自身も、40年以上も前の、まだパソコンのなかった時代に、さまざまな思いを持って研究所に入ってきた技術者たちと一緒に考え、それを徹底していった結果が今の世の中を動かしていることを目の当たりにしてきた経験から、いかにコンセプトや考え方、小さな気づきが大切かを実感したそうである。そして、それが人の発達や意識の変容につながっていったいくつもの体験をし、共に今を生きていることの喜びを感じたそうである。

 ビジネスの世界では現象が次々と起きて伝播・感染していくが、その底には必ずきっかけ、オリジンとなる小さな思いや発想があるはずだ。遠藤氏はこれを「現象のアイスバーグ構造」と呼び、「これからの技術者は、表層に出ている現象を追いかけるだけではいけない。大事なのはその底流にある小さな気づきを継続することだ」と述べた。

 講演の後半では、遠藤氏がこれまでかかわってきたさまざまなプロジェクトや委員会活動を振り返って、どういう小さな気づきがあったのか、そしてその気づきを他のメンバーと共有して成果としていくための方法論(例えば、R&Dのためのシナリオに基づくビジネス戦略:SBBS_rad)についても話があった。詳細は割愛するが、いくつかキーワードを拾ってみると、「わかる」から「わかり合える」へ、総合智とは何か、ミクロとマクロ、人工物が人間に対して与える影響への責任、人と情報と技術と社会の調和のとれた発展など、いずれも遠藤氏のいう総合アートにかかわるテーマである。


スローなユビキタスライフのために

 講演の冒頭、セミナーの参加者から、「ユビキタスになってどこでもつながるようになると、かえって慌しい。どこにいてもスローにはなれないのではないか」という率直な疑問が聞かれた。

 ご存知のように、講演のタイトルにある「スローなユビキタスライフ」は、情報アクセシビリティやユニバーサルデザインについて研究されている関根千佳氏(株式会社ユーディット代表取締役社長)の著書『スローなユビキタスライフ』[2]から借りてきたものである。この小説は、社会にユビキタスの行き渡った2010年代、老夫婦や引きこもりの少年が地方の温泉町にやってきて、地域の人々や情報技術の助けを借りながら生きがいを見出していく物語で、そこには、情報技術が人と人をつなぐだけでなく、人と自然をつないで人々を支えている様子が描かれている。つながるとはどういうことか、人間が尊厳を持って暮らすための情報技術とは何かなどについて、あらためて考えさせてくれる。

 遠藤氏も、「ユビキタスとは地球も人間も含めたまわりの環境すべてとつながっているということに気づいていくことだ」と述べていた。近代化、情報化が忘れてきたもの、専門化、分業化などによって心と身体も環境もわかれていくライフスタイルを、総合的に全うする生き方へと意識的につなげていく必要がある。人間が人間らしく生きるために、情報技術とどう付き合っていけばいいのか。講演には、その気づきを得るためのヒントがたくさんあったように感じた。 (レポート/C.H.)

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[1] エコな生活:遠藤氏のご自宅は唐松でできた高断熱の省エネ住宅で、しかも屋根には太陽光発電パネルが埋め込まれている。佐久地域は晴天率が高く、余剰電力を中部電力に売電されているほどだそうである。

[2] 関根千佳[2005]『スローなユビキタスライフ』地湧社。ちなみに、この本は、遠藤氏も研究運営委員としてかかわった文部科学省の「やおよろずプロジェクト」(平成14-16年度科学技術振興調整費、先導的研究「横断的科学によるユビキタス情報社会の研究」)の成果の一つとして生まれたものである。

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