2008年11月6日木曜日

オリジンにふれる、ウィノグラード、Google、体験流

【本稿は2007-07-09記】

先週、久しぶりに訪れた東京駅のエキナカの本屋さんで、「NHKスペシャル グーグル革命の衝撃」という本を購入しました。

例によって、グーグルに関する様々な事柄が、「検索」がもたらすもの、天才集団の牙城、広告革命、既存のメディアを揺さぶるグーグル、誰が検索順位を決めるのか、グーグルにすべてを委ねるのか、膨張する巨大IT企業の行方、人類のライフスタイルとグーグル、「退化」する私たちの未来、などの言葉でお話がされていました。

ほとんどの内容は、皆さんがすでにご存知の内容でした。

でも28ページの1行に私の目は釘付けになりました。

ご存知のように、Gooogleは、1998年に、スタンフォード大学の二人の学生、サーゲイ・ブリンとラリー・ページによって誕生しました。
二人は1995年に最初に出会ったとのことですが、28ページには、「二人の足跡や考えの一端を知りたいと、グーグル発足当時、ラリー・ページの指導教官だったテリー・ウィノグラード教授を訪ねることにした。」とありました。

1989年に、私たち(当時、ヒューマンインタフェースのR&D活動を進めていた複数の企業の仲間たち)は、スタンドフォード大学に、ウィノグラードさんを訪ね、わくわくするような議論をして頂いたことが、走馬灯のように想いだされてきました。

当時、ウィノグラードさんは、「Understanding Computers and Cognition: A New Foundation for Design」という著書で、私たちにわくわくするような衝撃を与えて頂いていました。

その序文には、
「どんな技術でも、人間の本質や活動についての暗黙の理解という「背景」から生まれてくる。
一方、技術を使うことによって、我々の行動、ひいては存在そのものに根本的な変革がもたらされる。
道具(ツール)をデザインするとは、自分の存在のあり方をデザインすることだ、という点に思い至ると、デザインについての根源的な問いに出会うことになる。
これを真正面から受け止めて初めて、我々はコンピュータ技術を理解する新しい背景を築くことができる。
この背景こそが、コンピュータ・システムの設計と利用に重要な進歩をもたらしてくれる。」とあります。

お逢いしたときの議論では、当時の技術動向の議論や、この本の哲学的背景についての先生の「思い」について、再確認させて頂いたりしました。
終わり際に、私は、ウィノグラードさんに、もう一度、先生の「思い」について、お聞きしました。
そこで、「これからは、従来の図書館のように情報を集め、利用する形態が大きく変わってくることが予想されるが、今の図書館でもそうであるが、情報の仲立ち・案内をする人の役割が、とても重要になってくる。それは、・・・・・・・」と、静かに、深く諭すように話して頂いた。

そのときにも、オリジンにふれたふるえを感じたのを、憶えていますが、このたび、改めて、そのオリジンを再確認することができ、本を読みながら、うれしさがこみ上げてきました。

ところで、よーく想いだして、「表層の皮」から深層を流れるオリジンをみつめてみると、今のGoogleは、上記のオリジンの「・・・・・・・」の中のひとつの「・」に焦点をあてているに過ぎないような気がしてきました。

小さな気づきかもしれませんが。
もう一度、これまでの「オリジンにふれる体験流」を、再構築してみたいと思います。